夢 2024-07
このページは夢の記録です。恐怖や不快感を含む表現が混ざることがあります。
※このページはログです。暗い内容や不快な描写を含む場合があります。
2024/07/22(Mon)
工兵としてひとりで破壊活動に活躍するが脱出の際に取り残されて,締め切られたエレベーターの中で暑さと酸欠で死にかけていた.
助けられたあとしばらく沿岸部で後遺症に苦しみながら塹壕生活をしていた.
ある日洋上の司令船に一兵卒にすぎない私がこっそりと招集された.
内心では処刑を覚悟した.
というのも私は例の任務を行ったときにこの戦争の正当性に根拠がないことを知ってしまったからだ.
我が軍はまるで大量破壊兵器のないイラクに侵攻した米国であった.
私はそのことを誰にも話してはいなかったが上層部は私を口止めしたいのだろう.
司令官が来るのを私は食堂で待っていた.
人払いされていて他に誰もいなかった.
食堂にはナポレオンに心酔する司令官の悪趣味が散りばめれられていた.
ナポレオン自筆のジョセフィーヌ?への手紙を写した食器やワイングラスがあった.
素晴らしい出来のものばかりだったが,司令官のナポレオン趣味も食堂の雰囲気も気味が悪かった.
やがて少佐くらい階級の人物が現れた. 所属が不明なのが怪しかった.
司令官ではない理由もわからなかったが,訊いてはならないと直感した.
少佐から私に勲章を送ろうと提案を受けたが,恐れながら私は自分はそれに相応しくないと辞退を願った.
なぜかと訊かれた.
私は任務のあと臆病風に吹かれて今では名誉よりも命が惜しいばかりで軍人として失格だからと応えた.
上官の勲章の話は,私を一旦落ち着けることで粛清しやすくする方法としか思えなかった.
将校たちは誰も信用できなくなっていた.
おそらくこの少佐も政治将校なのだろう.
意外なことに私の願いは聞き入れられた.
私は戦争の英雄として,自宅で護衛されて過ごすとのことだった.
つまり監視つきの自宅軟禁だと悟った.
いつ自害を強制されるとも知れない.
私がこんな国に生まれ育ったことの意味の重さをヒシヒシと感じた.
目が覚めたあとも現実と夢の区別ができなかった.
将校にまた会うのが怖くて仕方なく怯えていた.
熱を測ると三十九度七分?あれ?三分だったか?とにかく熱があった.
COVID-19を発症した.
2024/07/19(Fri)
さまざまな職場を短期間勤めては,体調不良で退職した.
そして食品工場で働き始めた.
10分休憩や昼休憩でも、他の工員たちは,休憩終了前には作業場に戻っていた.
しかし私は疲弊していたので,休憩時間を目一杯休まなければならず毎回作業に遅れた.
他に仕様がなかったのだ.
しばらく勤めるうちに私の体調は悪化していき,目に見えて生産力が減っていた.
管理者が私の生産性の低さに気づいて私の生産力テストなどが始まった.
とはいえ私にはそのテストを受ける元気もなく,休憩あがりにテストに遅刻していたので,精神教育が始まった.
私は落ちこぼれとして扱われて,自分が職場で見放されていくのがわかった.
休憩時間のたびに職場から逃げ出したかった.
2024/07/10(Wed)
海を泳ぐと辿り着ける洞窟があり,潜って抜けた所に椎名林檎の隠れ家兼スタジオがあった.
私はそこに通い詰めていたが,ある日誰だか高圧的で嫌な感じの男に洞窟に入るところを見られてしまい,渋々彼を案内した.
それ以来は私は洞窟に通うのをやめた.
2024/07/09(Tue)
福岡で地元の友人たちといると5,000円でオリエント工業のラブドールと性行為できるという怪しげなイベントに遭遇した.
ラブドールたちの美しさが好きなので.ラブドールたちが不憫で私はやめておいた.
しかも半透明のビニールカーテンで仕切られたちょんの間が3つあるだけのような場所でプライバシーなんか全くない.
友人2人が性行為をしている間,私はその間は和室で畳に座ってちゃぶ台の向かいの美人なダッチワイフを見ながら熱い緑茶を飲んで過ごした.
そこはただの待合い室なのでもちろん私はお金は取られていない.
博多から福岡空港に行くための地下鉄が封鎖されているとのことで,西鉄バスで移動しなければならなかった.
しかしそのルートのセブンイレブンがある通りはスナイパーストリートになっていて,バスに乗っていると真っ先に狙われるから危険だと知った.
なのでスナイパーストリートの手前でバスを降りて,バスに隠れながら空港に向かった.
いつもなら真っ先に運転手が狙撃されるはずだが,今回は乗客に向けてスナイパーは乱射しているようだった.
ボスニアのときのように,人間狩りを楽しみにきたスナイパーなのだろう.
その間もバスは時速5キロメートルほどで移動した. 死傷者だらけだった.
その後は物陰にを移動しながらの移動が多かったが,航空機の搭乗時刻の締め切り寸前に間に合った.
妻はもう遅刻寸前だからこんな目に遭いたくないと言っていたが,私はスナイパーストリートのスリルが好きだった.
小学校のときの友人と小学校の校庭で,クラス対抗のサッカーを見ていた.
隣には誰か話し相手がいた.
私は記憶障害でクラスメイトが誰なのか認識できないため,パスを誰に回していいかわからないときがあると打ち明けた.
ゼッケンなしだと球技はつらい.
私はあと球技が得意そうに思われがちだが,実は得意なのは守備だけで,
ボールを蹴ったり投げたりするときには,飛距離はあれど自分ではどこに飛んでいくのか全くわからないと話した.
かろうじてバスケでドリブルができるのは短期間ミニバスケの部活をやっていたからだろう…
本当に球技全般は苦手だ…
その他にも書類記入が苦手なことや住所や名前も間違えたり,最悪自分の名前を思い出せないことがあって,惨めな気分になることがあると話した.
話し相手には,とても想像できないようで信じてもらえなかった.
昔の出来事は克明に思い出せるのに,なぜこんな簡単なことは思い出せないのか自分でもわからない…
2024/07/08(Mon)
北国の他の地域から断絶したビルディングで快適な暮らしをしていた.
私は母と2人で住んでいた.
共同風呂に入りに行くとそこは大きな混浴風呂で,好きな女子がそこにいるのを見かけた.
性犯罪の冤罪が心配になったので,その子を煽てて風呂からあがらせた.
帰りが一緒になったので,そこに住む経緯などこれまでにないくらいにそのこと会話することができた,
とても嬉しかった.
その子の全裸を非常なるものと考えていたのは,他の誰でもなく私だけかもしれないと反省した.
裸でいることは人間が原始的な社会ではありふれている.
同じようにこの隔絶された社会だけで裸を特別視する必要もないのかもしれない
そう考えたが誰に言えるでもなかった.
2024/07/07(Sun)
学校の遠足のような行事だったが誰もどこに行っていいかわからず,
ひたすらにクラスメイトたちと廃墟やけもの道を彷徨う.
人間関係がややこしくて生き地獄だった.
2024/07/02(Tue)
大東亜戦争で大陸に動員されたあと,帰郷したが,あまりに戦場とかけ離れた生活をしている自分の家に入る勇気がなく,
日清日露に動員された老人の家に行き戦争神経病の苦しみを語りながら泣いていた.
怪物に追われて逃げているつもりが自分が怪物になってニンゲンを追う側になっていた.