以下は主張ではなく、戦力投射の「移送・運用化・維持」という形式が、「投入」という語でどこまで説明できるかを点検するための叙述である。
結論として、この読み替えは条件付きで有効である。戦力投射は「能力と装備を特定の空間へ投入し、そこで稼働させ、維持する」操作として説明できる。ただし対応が成立するのは運用の形式に限られる。また、軍のミッションが破壊を前景化させる局面と、秩序や生活基盤の維持・回復を目的とする局面では、読み替えの含意が変わる。
戦力投射(projection)は、戦力を戦域へ移すだけでなく、そこで運用可能な形に整え、一定期間維持することまで含む。少なくとも、(1) 空間的移送、(2) 運用化(編成・統合)、(3) 維持(補給・整備・交代)の三つが揃って成立する。
フォークランド紛争のサンカルロス上陸(Operation Sutton)を例にすると分かりやすい。英軍はサンカルロス周辺に上陸し、橋頭堡を確保した。上陸は移送の局面にすぎない。上陸後に部隊を作戦単位として機能させる運用化が要る。さらに補給と増援によって活動を継続させる維持が要る。これらをまとめた操作が戦力投射である。
以上の運用形式を経済学側の語で言い換えると、労働力と装備・補給体系を特定の空間へ投入し、反復的に稼働させる操作になる。重要なのは、投入が一回限りではなく、稼働を続けるための維持コストを含む継続過程である、という点である。
遠征部隊は作戦上の自己完結性を志向し、人員の補充・休養・医療、装備の整備、補給の循環によって戦域での稼働を継続させる。もちろん戦略上は後方の産業・財政・動員に依存するが、作戦単位としては「能力を維持し続ける仕組み」を組み立てる。この点で、自己完結性の要請は「再生産(能力の維持条件)」とアナロジーをなす。
ただし両者は同一ではない。労働力の投入は市場と契約を媒介にして成立する。他方、戦力の運用は国家組織の指揮命令を媒介にして成立する。対応が成立するのは「能力を空間に投入して運用し、維持する」という形式に限られ、媒介の差異は残る。
価値の面でも非対称性がある。ここで言う価値は使用価値、つまり生活条件(秩序・インフラ・生存可能性)に限る。クラウゼビッツの言い方を借りれば、戦争は政治目的を達成するための手段であり、破壊はその手段として用いられる。その結果として、軍事行動は生活条件としての使用価値を毀損しやすく、破壊が前景化する。
ここでの区別は任務の是非を論じるものではなく、軍事能力が生活条件(使用価値)にどう作用するかを記述するためのものだ。近年は、安全保障観の変化に伴って、軍のミッション自体が拡張している。平和維持や災害支援のように、破壊ではなく秩序や生活基盤の維持・回復を目的とする任務も含まれる。こうした任務では、戦力投射は破壊のための投入というより、能力を現場へ配置し、運用し、維持する操作として現れやすい。
つまり同じ「投射」でも、目標が破壊か維持・回復かによって、比喩としての読み替えの含意は変わる。
戦力投射は「移送・運用化・維持」という形式を持ち、これに限れば「能力と装備を投入して稼働させ、維持する」という説明が可能になる。遠征部隊の作戦上の自己完結性は、稼働を支える条件の整備という点で再生産の問題と対応する。ただし労働力と戦力は媒介(市場・契約/指揮命令)が異なるため、同一視ではなく形式の類似として扱う。さらに、軍事能力が生活条件(使用価値)に与える作用は、破壊が前景化する局面と、維持・回復を目的とする局面で異なり、「投入」という読み替えの含意もそこで変化する。